万葉の都・恭仁京跡で真っ赤に咲く
18 0恭仁京(くにきょう)は740年(天平12年)の12月に、聖武天皇によって平城京ラ移された都でした。
短い間で、743年には紫香楽宮に移され、その後難波京、さらに745年にはふたたび平城京に戻されました。
遷都後は宮城の跡地は山城国分寺として利用されたのですが、今はそれもなく、史跡の跡地を示す碑が建ち、九重の塔の礎石が見られます。
短い間の都でしたが、大仏建立の詔はここで出され、実行されたそうです。
万葉集にも、たびたび登場して、ここの景色を褒める歌が詠まれています
今造る 久迩の都は 山河のさやけき見れば うべ知らすらし(巻六 1037) (大伴家持)
山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり
秋されば もみち葉にほひ 帯おばせる 泉の川の
上かみつ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し
あり通ひ仕つかへまつらむ万代よろづよまでに
楯並めて泉の川の水脈絶えず仕へまつらむ大宮所 (右馬頭境部老麻呂)
泉の川と言うのは、やがては淀川となる、木津川のこと。
時代は違いますが、万葉集はあまり馴染がなくても、百人一首は身近ですね。
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋いしかるらん (中納言兼輔)
この いづみ川は同じ川で、みかの原という地名がこの辺りです。(京都府 木津川市 加茂町)
今眺める辺りの景色も昔とあまり変わらない様子。
すぐ後ろは山、前には田園地帯、向こうの山との間に川が流れています。
そのすぐ後ろの山の中腹には、東大寺大仏の造立工事の無事を祈って建てられた海住山寺もあります。
交通の便がよくないのであまり開けていません。
礎石を彩る彼岸花がロマンを誘います。
跡地を囲う溝の彼岸花も、燃えるように赤く
周りの、田んぼの彼岸花は前にアップしました・・・こちら
今の跡地はこんな感じです
家からは混んでなければ車で20分もかかりませんが、今回初めて訪れました。
周りの田んぼで見たトンボなどを 続きを読むにアップしました。
アキノノゲシに止まった ノシメトンボ ?
こちらは ショウジョウトンボ か アキアカネ ちょっと分かりません
ナツアカネだそうです。
仲良しさんもいたのですが、近くに来てくれませんでした
バッタ 何バッタ?あまり見ない模様 ツチイナゴだと教えていただきました。 普通のイナゴはいっぱいいました。
ボタンみたいなクモ 糸を通す穴が開いてるみたい~
珍しいものはいなかったのに、アップしました。